あいめいしゅうしゅう
鳥や虫が悲しげに鳴くさま。
鳥や虫に感情があるとは思わないけど、その鳴き声を楽しげと取るか、悲しげと取るかは人間様次第だと思う。
さて、正直言ってすこぶる調子が悪い。
何が悪いってメンタルがヘラっててすこぶる悪い。毎年5月6月と9月10月あたりはグッタリとしてしまう。季節の変わり目だったり、疲れのピークがこのあたりで来るみたいだ。
どうしてこんなにダメな感じになるのか、分析せねばと思うのだけど、教員という仕事自体がなかなか達成感というものを感じさせてくれないことが一つ、単純に体力が持たないことが一つの計二つがある気がする。
一つ目は、この学級の半ばという時期で、教育活動真っ只中という状況。生徒が変わるのか変わらないのか、そろそろ兆しが見えてきてもらえるとありがたいのだが…という時期だと個人的には思っている。
全然変わりゃしねぇ。やはりこの世には何らかの「変化を拒む力」が働いているようだ。自分の力不足が原因なのはもちろんそうだが、周囲とも足並みが揃わず、一人でやれることって本当にごく僅かで、これがもう非常に無力感を覚える最大の要因。腐ったみかんではないけど、一部が腐ると連動して腐るんだ。同時多発的に腐るのやめろ。
二つ目は、体力のなさ。とてつもなくシンプルかつ最大の問題なのだけど、本当に体力が持たない。仕事には行き帰りの移動時間も含め、12時間以上は持っていかれ、家では子育てやら何やらで疲れ切った奥さんがいて、労ったり、自分も子育てに参加したり、土日は土日で何かしら外に出る用事が毎週あって、マネジメントが20代の頃と同じ方法だと本当にぶっ倒れる。もっと時間的なバッファーが欲しいというか、もっと緩く生活していきたい。
もちろん自分の子供も奥さんも可愛くて好きだし、いつでも会いたい。
自分が担当する生徒もそれなりに可愛いとは思っている。でも疲れた。疲れたんだよ。
でも一番疲れるのはそこじゃない。職場の大人たちだ。どうしてこんなに問題ばかり起こすんだ。経験年数が上だから何か考えがあるのだろうと思いたいのだけど、明らかに指導力不足だったり、人間性が欠落していたり、なんか、「先生ごっこ」に付き合わされている感覚が拭えない。どうして授業変更にかかわる先生に連絡せずに授業を変えてしまうの?その先生、自分の授業が勝手に減らされててびっくりしてるよ。
講師の先生の授業、勝手に変えてません?それってちゃんと交渉したの?
許可をとって変更しても、どうして時間割の表に反映させないの?というかどうして正しく記入できないの?
「働き方改革」とか、そんなこと言われても、基本的なことすらできない人たちには何にもできないよ。
もう少し、「大人」がたくさんいるところに身を置きたい……。
しんどすぎてどうにもならん。明日は職場に行けるだろうか。