曖昧模糊

 

物事の本質や実態がぼんやりとしてはっきりしない様子。不明瞭なさま。

 

 コロナ陽性者となり、頭がぼんやりとしてはっきりしない感じの日々を過ごした。

 罹患したのは今年の三月。妻と娘がもらってきて、家庭内で感染。昔っから熱が出るとまぁ高温で、ふらふらしてしまう。40度くらいにまで上がると振り切ってむしろ大丈夫って時もあったが、一番辛いのが38度前後あたりで「これから上がるぜ〜!」っていう時が本当にだめ。

 

 ぼんやりとしたのは嗅覚。一度、完全に匂いが感知できない時期があった。娘のうんちおむつすら香らない。

 なぜだろう。この時ばかりはとても嗅ぎたかった。この時だけは。

 

 さて、ぼんやりした人生を歩むのには定評のある私である。コロナにかかったその瞬間だけぼんやりしているわけでもない。一事が万事ぼんやりしているのだから確固とした一貫性がある。

 なおぼんやりしているのは私の母も同じで、入学金の振り込み忘れで浪人したのは何年も経った今でもはっきりと鮮明に覚えている。ぼんやりした記憶に燦然と輝くはっきりとした過去の出来事。そこだけ光が差し込んでいるようだ。

 

 母は朝7時に私を揺り起こし、「ごめん、入学金振り込み忘れた……。もう一年頑張って。」と泣きながら言った。

 なぜこのタイミングで気づくのだろうか。母は午前6時頃に何をしていたんだ。生活リズムがおかしい。

 

 私といえば、普段は7時になんぞ起きない生活をしていたため、何が何だかわからない。人生ぼんやり過ごしている高校生が朝の7時にぼんやりしていないわけがない。こちとら日向ぼっこが好きなんだぞ。

 あー、もう一年かぁ…。と思い、「わかったからもう一回寝ていい?」と返し、ぼんやりした頭をもう一度寝かせてあげることにした。多大なるストレスには睡眠が一番である。

 

 結局、その日は家族みんなで入学する予定だった大学に何度も何度も連絡をしてみたが、規則は規則。入学はできないとのことだった。

 なんだよこの大学!と家族みんなで逆恨みをしていたが、当の本人は割とのほほんとしており、「まぁ仕方ないよな、規則だし。」と受け入れていた。ぼんやりした性格は周りからも穏やかで良いと評判だ。

 

 この件が原因で私は1年間の浪人生活を余儀なくされ、両親は一ヶ月間お互いに口を利かなかった。伝言をするのは一番被害を受けた私である。なぜだ。

 

 この1年間の浪人生活は私の人生にかなり大きな影響を与えることになるのだが、それはまたいつか別の機会に書こうと思う。