合縁奇縁

「合縁奇縁(あいえんきえん)」

 不思議な巡り合わせの縁。人と人とがめぐり逢い、また愛し合うようになるのは、これすべて縁によるものである。人と人とのめぐり逢いには縁という不思議な力が働いているということ。

 

 

 人との出会いは不思議なもので…と語る人も多いが、出会いはなんら不思議ではない。みな会うべくして会っているのだと思う。不思議であるのはその縁が続くことであるとは思わないだろうか。

 

 元来、僕はあまり積極的に人間関係を構築するタイプではない。基本的に独りが好きだし、人間関係の機微を捉えて言動を変えることに煩わしさを感じ、嫌になってしまうのだ。

 

『嫌われる勇気』という本があったが、勇気なんて出さなくても嫌われるときは嫌われるのである。気を遣えば嫌われないだなんて考えが甘い。

https://www.amazon.co.jp/嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え-岸見-一郎/dp/4478025819

 

 さて、出会うことよりも関係が続く方が「合縁奇縁」の意味に沿うのではないかと思うのだが、関係が続いている方々に関して言えば、特に何もない。

 ここで取り上げたいのは「合縁奇縁で関係が継続してほしかった人たち」である。

 僕の方も、おそらく相手の方も互いに悪くないなと感じつつも、なんだか不思議な縁の切れ目で繋がらなくなってしまった人たちがいる。

 

①世界を敵視するMくん

 彼は高校生の頃に出会った暗くて熱い男だった。高校時代の連休と言えば色々なことが楽しめる期間だろうが、彼は独りぶっ通しでギターを20時間は弾き続け、夜はランニングで10キロも20キロも走る。

 努力の成果も出て、ギターも上達し、体力もつき、側から見ていても超人じみたものを感じるようになったが、「まだ足りない…こんなんじゃぁ、あいつらを見返せねぇよ…。」と意味ありげな発言を繰り返すのだ。

 また、彼は非常に友人想いで、友人の誕生日にもサプライズのプレゼントを用意したりもする。

 教室で誕生日を迎えた友人を前に、一対一で自作の曲のギター弾き語りをプレゼントするロマンチックさも併せ持つ姿を見せてくれた。(残念ながらエピソードを聞いたのみで、その場面に居合わせることはできなかった)

 彼とは卒業後一度も会っていない。なんなら連絡先もなくなってしまったし、おそらくこれから先二度と会えないのだろう。

 

②地元のツタヤを制覇したOくん

 彼も高校生の頃に出会った人だ。出会った頃には既にセンスが完成しており、見た目は真面目で公務員のようだったがドラマーで軽音楽部の部長を務めるようになった。

 彼にも逸話がいくつかあるが、印象的な話が二つある。

 高校生にして地元のツタヤのCDを全て借り、一通り聴いていること。

 大学生になって、工事現場の重機の音を「卒業論文執筆の参考にしたい」という嘘をつき、音のサンプリングを行っていたこと。

 最近インディーズデビューしたらしいのだが、情報が入ってくるのみで縁自体は完全に切れてしまった。幸いバンドの詳細は把握しているので応援していきたい。

 

 他にもパソコンのアイコンが全部おっぱいになってしまったCくんや、4年に1度の頻度で山登りに誘ってくれていたBくんもいるのだが、残念なことに縁が切れてしまった。

 個人差はあるのだろうが、おそらく人間の持てる縁の数は限られているのだろう。

 僕の持てる縁は両手で余る程度の数なのかもしれない。